「当たり前なんてない。 当たり前にあるのは人間はいつか、この世界から居なくなる、ものの経年劣化のようにね」
この言葉を聞いたとき、私は胸の奥が静かに震えた。 水が出ること、食事が作れること、家族が生活できること。 それらは全部“当たりではない‘‘。 私はそれを、身をもって知っている。
井戸が枯れ、生活が止まり、人の冷たさに触れ、 それでも前を向くしかなかったあの日々。 あの経験が、今の私の生き方を作っている。
当たり前なんて無い、と気づいた瞬間
「当たり前にあるのはこの世から居なくなる、だけ
」 この言葉は、私の心に深く刺さった。
水が出るのも、家族が笑っているのも、 今日が無事に終わるのも、 全部“当たり前”じゃない。
井戸が枯れたあの日、 私はその意味を本当の意味で理解した。
井戸が枯れた日、生活が止まった
ある日突然、井戸が枯れた。 蛇口をひねっても水は出ない。
洗濯もできない。 お風呂も入れない。 食事も作れない。
生活のすべてが止まった。
でも、止まった生活を前にしても、 私は立ち止まることができなかった。 家族がいたから。

子供を温泉施設に連れて行けた時の‘‘ホットした気持ち‘‘
お風呂は、近くではなかったけれど、 温泉施設まで子どもたちを連れて行った。
まだ小さかった子供たちは毎日お風呂に入れて清潔に保つ必要があったので、
近くではないが温泉施設に毎日連れて行った。
そのときだけは、 「今日もなんとかできた」 そう思えて、胸が少しだけ軽くなった。
若かった私は、 ただただ必死だった。 愚痴を言う暇なんてなかった。
洗濯機を借りられなくなった日、人間の怖さを知った
洗濯は、少し離れた隣の家で 水と洗濯機を借りていた。(当時はコインランドリーは無かった)それに山の中に住宅があった。
でもある日、 近隣住民の人が邪魔をして、 突然借りられなくなった。
その瞬間、 「一番怖いのは人間だ」 そう思った。
水がないより、 人の冷たさの方がずっと心に刺さった。
夫が憎まれ、村八分のようになった集落で生きるということ
夫は集落で憎まれ、 村八分のような扱いを受けていた、だから、水道を引かないで井戸を、
自分で(もちろん機械で)掘って井戸を作ったのですが。
その影響は家族にも及んだ。
若かった私は、 その空気の中でどう生きればいいのか わからなかった。
でも、泣いても状況は変わらない。 だから私は、ただ前を向いて生きた。

将来に不安がなかった理由
不思議と、将来の不安はなかった。
「ダメなら引っ越せばいい(家のローンがありましたが)」 「雨が降れば水が溜まって井戸の水が出る」
そんなふうに、 どこかで“なんとかなる”と思っていた。
極限の中で育ったのは、 折れない心ではなく、 しなやかに受け止める力だった。
あの頃の自分に伝えたいこと
今の私が、あの頃の自分に声をかけるならこう言う。
「全部一人で背負わなくていいよ。 家を建てる場所も、人との付き合い方も、 “何が一番大事か”を一つ一つじっくり考えていいんだよ。 夢中で生きていたあなたは、何も間違っていない。
まとめ
井戸が枯れ、水が出ない生活を経験したことで、私は「当たり前なんてない」という真実を知りました。人間関係の怖さや孤立も味わいましたが、それでも前を向いて生き抜いてきました。この経験は、今の私の生き方の土台になっています。同じように悩む人に、少しでも届けば幸いです。
随分昔の話に聞こえますが、娘は今、33歳と35歳、あっ
昔ですね(笑)、私にはそんなに昔に思えない、むしろ昨日のように感じます。
小さな集落だったので村八分は発生しやすいのでしょうか?



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